私の生き辛さ。
私は極端に友達が少ない。
私が友達だと思っている相手は皆、私のことは友達だとは思っていないかもしれないとも思う。
胸を張って、この人とは何でも分かり合えていて、親友なの、と言える人がいない。
私を心から好いていて、何となく私に連絡をくれたり、私に会いたくなったり、私と話したいと思ってくれる人なんてこの世にいないと思うから。
皆きっと一度は私に傷つけられたり、腹を立てたりしていると思う。
本当に私はどうしようもない、最低な人間なのだ。
病気なのかなとも思う。
でも、空気には敏感な方だと思う。
特に自分に向けられた負のエネルギーには昔から敏感だ。
だから、病気ゆえの生き辛さではないのだ。
ただただ、コミュニケーションをうまくとることが出来なくて、人を楽しませることも出来ず、傷付けたり、怒らせたりするばかりの人間。
生きている意味があるのだろうか?
やり直したいと思うこともあるけれど、もう一度同じ道を歩みそうで、出来ることなら母親のお腹の中で別の遺伝子となって、別人として生まれたい(つまり今の私は生まれてくる必要はない)と思う。
別のもっと、コミュニケーションが上手な、ニコニコ愛嬌があって、どんなときでも人を楽しませることができる人間が生まれた方が、周りもよほど幸せだろうから。
だからといって自ら死ぬことも選択できない。
私なんかのために胸を痛める人間が一人でもいたら、申し訳無さすぎるから。
このまま眠りについて、目が覚めなければいいのに。
明日も朝目を覚ましてしまう。
そしてきっと、なんてこと無い顔をして一日を過ごす。
昼間はだましだまし、人並みに楽しそうにすることもできる。
一日の終わりには、明日も目が覚めてしまうことを考えて眠りにつくんだろう。
深夜のブログ開設。
私はSNSが苦手だ。
大学時代にGREE、mixi。大学院時代にFacebook。どれも一度は登録して実際の友人と繋がってはみたものの、最終的には気持ちがついていかなくなり、息苦しくなってアカウントを削除してしまった。
原因はいくつかある。
元来のコミュニケーション能力の低さ(ものすごく勇気を出さないと友達申請もできない)。
自己主張や感情表現が苦手で、自己主張が強すぎる人も苦手。
女性特有の仲良しアピールへの嫌悪感(褒めちぎり合う)
人からの評価が怖い。e.t.c
辛うじて生きているInstagramも、実際の友人達の投稿を見るのが辛くなって、裏アカウントを作ってしまった。もっとも、そこでも自分の投稿はほとんど無く、ほぼ、興味があるアカウントを見るためだけのものになっているけれど。
ブログを開設したのは、眠れずに暗闇でスマホをいじっていた勢い、というのもあるけれど、SNSの様な煩わしさを感じずに、日々思ったことを吐き出す場所が欲しかったから。
精神安定剤の様な場所になれば。